歴史を捏造(Whitewash)するものは誰か?


フリーペーパーCheers記事(12月号)


2015年末の慰安婦問題に関する日韓合意以後、日本政府は今年1月18日の参議院での質疑応答で、首相、外務大臣は「日本軍の関与はあったものの、軍や官憲による強制連行を示す資料はなく確認できなかった、20万人の性奴隷という言い方も事実に基づく表現ではない」と言明し、メディアの不適切な記述に対しては申し入れを行っていくと約束しました。多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題ではあるが 「性奴隷、20万人といった事実はない。」「当時の軍の関与の下に」 とは、「慰安婦所の設置、衛生管理および慰安婦の移送について直接および間接的に関与した。慰安婦の募集については軍の要請を受けた業者が行った。」と安倍首相も述べています。また2016年2月16日、国連女性差別撤廃委員会のセッションで、日本政府代表団団長の杉山審議官は「政府の調査では、強制連行の確認はない。20万人という数字の根拠はない。性奴隷という表現は事実に反する。他国の場合も法的に解決済み。」と明言しました。 

今までの事なかれ主義から、事実に基づく情報発信へと日本政府の姿勢を転換させるきっかけを作ったのは、なでしこアクションやAJCNといった民間団体の地道な活動でした。この流れの中で反日グループも、「強制連行」から「女性の人権、人身売買問題」へと矛先を変えざるを得ず、あの朝日新聞もこれに対応して「狭義の強制」から「広義の強制」へと論点のすり替えを行いました。慰安婦(戦時売春婦の婉曲表現)は当時日本では合法であり、第2次大戦後も韓国をはじめ自国や他国の軍のために慰安所を設営した国は複数ありました。このいわゆる「慰安婦システム」の中で働いた女性が慰安婦であり、豪州のJan Ruff O'Herne さんは、前線の兵士の逸脱行為による特定戦争犯罪の犠牲者の一人ではありますが、「日本軍のための慰安婦」ではありません。

それでは「慰安婦女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」という表現は、具体的にはどのような行為をいうのでしょうか。無責任にまき散らされた、事実に基づかないプロパガンダ一つ一つについて検証し、その結果は強く主張していかなければ、一度定着したプロバガンダを覆すことは困難です。誰が女性の人権を踏みにじり、誰が人身売買をしていたのか。今回は、朝鮮で慰安婦を集めていた朝鮮人業者たちが何をしていたか、また日本の警察が当時の人身売買や強制的な拉致誘拐を厳しく取り締まっていた事実を、当時の新聞記事で検証してみましょう。事実が自ずとわかります。


当時の朝鮮人による人身売買、それを取り締まる日本の警察の新聞記事


■1932年06月04日 毎日新報
処女を誘拐後蹂躙して満州に娼妓として売っていたのを検挙。 これには勇敢な漁師二人が力をちょっと貸した。



■1933年06月30日 東亜日報
路上で少女を拉致、 醜業(売春花屋)に売却。 犯人は韓国人、日本警察が救ってくれる。



■1933年07月01日 東亜日報 
少女誘拐団のトップを逮捕。 この女性は主に幼い少女たちを誘い出し、売春宿に売り飛ばしていたが、日本の警察が逮捕。



■1935年03月07日 東亜日報 
中国上海暗黒街に約2000人余りの朝鮮人女性が。遠征売春婦のために朝鮮人の威厳が傷つけられた。彼女たちの惨憺たる生活に対し的確な対策を打つことはできない。 なぜなら、経済的な問題による自発的な労働なので、対策を立てることができないと残念がる内容。



■1936年02月14日 毎日新報
朝鮮人たちが女性を誘拐し、娼妓として売って稼いでいるのを、日本の警察が発見し逮捕。



■1936年05月14日 毎日新報
農村の婦人を誘引した犯人を検挙。女性を満州に娼妓として売却しようとしていたところを、日本の警察が検挙して女性を救出する.。4人の女性が魔の手を脱する。



■1936年07月09日 毎日新報
娘を誘引し、売春を強制した行商魔女の罪状 。犯人はファンクムチョン、パククムヒ、イドクスンという朝鮮人3人。純真な女性を誘引し、中国人に売春を強要した。日本の警察が検挙して被害女性たちを救出。



■1939年03月28日 東亜日報
50人余りの娘が朝鮮人人身売買団に騙され、北支や満州に娼妓として売られるも、日本の警察が救出する。


■1939年03月28日 毎日新報
農村処女を誘引し、100人余りを売り飛ばす朝鮮人拉致団。金持ち家族、親戚の朝鮮人の一味であった。これを日本の警察が検挙し、女性たちを救出。


■1939年08月05日 東亜日報
処女貿易の誘引魔。 日本人女性を誘引し、中国に売り飛ばそうとしているところを日本の警察が検挙。


■1939年8月31日 東亜日報 

悪徳紹介業者が跋扈。彼らが誘拐した農村、婦女子の数は100人以上。全員、日本の警察が救出した。