歴史を捏造(Whitewash)するものは誰か?


フリーペーパーCheersブログ記事(2016年9月7日)


韓国で行われている反日教育


日韓合意に関する年代別調査が韓国で行われた。韓国の民間の世論調査会社「リアルメーター」が2015年12月31日に発表した統計によれば、 結果は以下の通りである。



この調査結果は年代が若いほど反対の意見が多いことを示しているが、慰安婦問題についてインターネットで歴史的事実に触れやすい若い人たちがなぜというコメントが日本人から多く聞かれた。その大きな理由として、日本でも知られている韓国における反日教育のせいであるとの見方が一つの回答となろう。
水曜デモに参加した韓国系の若者とAJCN事務局長の会話がなぜ成立しないのかの理由もこれで説明できる。

韓国の国定教科書の日本に関する記述の大半は日韓併合以後の記述で占められ、韓国併合時について国内の併合を進めた人々を親日派と称し、大日本帝国の強圧により併合させられ、併合中の大日本帝国の功績にはほとんど触れず、「いかに(大日本帝国と)戦ったか」に重きをおいて教育をしている。日韓の歴史について韓国の歴史学者たちの恣意的な歪曲があり、これに基づいた強力な反日教育を行っており、民族主義イデオロギーの醸成を政府主導で長く行ってきた。 法的にもこの反日思想をサポートする「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」 (一般的に親日法と呼ばれる) という遡及法がある。この法律の目的は親日派と認定された人物、およびその子孫が所有する財産を没収することにあり、法的に親日を悪とする見方を裏打ちしている。

下の写真はソウル市郊外キュルヒョンの地下鉄駅構内に展示された絵画展における小中生徒達の作品である。出品作品は、日本列島をウサギの糞にした絵、日の丸を踏み躙っている絵、日の丸が描かれたトイレットペーパーを燃やしている絵、日本列島を火あぶりにしている絵、日本列島にミサイルを撃ち込んでいる絵、「嘘つき民族日本人」を犬小屋で飼っている絵などであった。絵には「日本の奴らは皆殺す」「日本列島を火の海に」「日本というゴミが捨てられるのは何時なのか」などという言葉も見られた。呉善花さんは「韓国では小学生の時からこうした教育を受けさせ、伝統的な侮日観をしっかり身に付けさせている」と述べている。
参考動画:韓国の小中学校で行われている反日教育 https://www.youtube.com/watch?v=jHekhbjWBL4
(全教祖:全国教職員労働組合会という北朝鮮主導で共産主義による南北統一を目指す組織によって行われる契機授業という思想教育強化授業が行なわれている)



そして最近、韓国で「朝鮮戦争」がこう認識されているというショッキングな記事を見つけた。

韓国の小中高教育では「朝鮮戦争」と呼ばない⇒ 日本と戦った「韓国戦争」と教えている。




日本と戦って下さってありがとうございます? 
6.25 (朝鮮戦争) も分からない小学生達
JTBCニュース(韓国語) 2013-06-18
http://news.jtbc.joins.com/article/article.aspx?news_id=NB10295190
1950年の6.25戦争(朝鮮戦争)に参戦した勇士らに小学生らと中学生らが感謝の手紙を書きました。ところがその意味を全く知らない学生たちが多かった。

手紙の内容を見ましょう。
イ・ユジョン記者が伝えます。

[記者]
1950年6月25日明け方4時、北朝鮮の侵略で始まった韓国戦争(朝鮮戦争)。
150万人が亡くなり、360万人が負傷しました。
民族の悲劇、6.25を正しく知る学生たちは多くありません。

大田(テジョン)のある小学校。6.25を独立運動と勘違いして「日本と戦って下さって感謝する」
という手紙を参戦した勇士に書きました。

「6.25個の国が戦ったという意味だと思っていた」という学生。6.25が50年間続いたとか8月10日だと思っている学生もいます。

中学生らも知らないのは同じこと。

「キム某嬢/中学校1学年:(6・25とはどんな日ですか?)
 うーん…まだよく分からないです。(何年度に起きましたか?) 1945年…」

「キム某君/中学校1学年: 北韓(北朝鮮)軍と韓国軍が戦ったのは…1964年? じゃなかったか…」

小学校5学年から6.25を含む現代史を習いますが、2005年に修学能力試験の必修課目から国史が外れ、2011年に集中履修制が導入されたことが大きいです。

「チェ・ジョンミン/ファゲ中社会教師:韓国史を疎かに扱う部分があり、 学生たちが現代史の重要な事件をよく認識できない部分があります。」

参戦した勇士は遺憾を表わします。

「チェ・ギオク/6・25参戦勇士:経験がないから見たこともない。学校で勉強するのに映画(動画)を見せながら教えれば子供たちは分かるが、言葉では分からないです。」

国史教育を強化しなければならないという声が大きくなっています。
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あるブログで下記のような記事も見つけた。契機授業で実際にどのように教えられているか確認されていないため、この記事は極端な内容とも考えられるが、ご紹介しておく。
(念のため山岡代表が韓国人にこの記事の内容を確認したところ、本当だという答えが返って来た)

韓国では北朝鮮と戦った1950年6月25日~1953年「朝鮮戦争」を一切教えていない。理由は同じ朝鮮民族同志で戦う理由など存在しないと教え込む学校教育と嫌憎日ヘイト教育方針からである。では1950年6月~1953年の戦争をどのように教育してきたのか。驚くことに、この戦争は韓国が日本と戦って戦勝国となった「韓国戦争」と教えている。国連軍の米英仏連合国が「日本」と戦い韓国から追い出した戦争と教えている。これについて質問すると高校生や大学生、40代の社会人に聞いても同じような回答が返ってくる。
それでは「韓国戦争」とはどんな内容なのか簡単に紹介すると、現在韓国の小中高学校教育で教えている事は以下の通りである。

1. 朝鮮半島で同じ民族同志で殺し合う戦争などなかった。北と戦った朝鮮戦争は教えていない。

2. 1945年8月15日に日本は負け、満州の日本軍がソ連軍に追われて朝鮮半島に侵入して韓国を占領した。日本軍は婦女子まで銃を持って侵入して、韓国人を虐殺し悪逆非道の限りを尽くし韓国を占領し居座りつづけた。

3. 1950年6月25日に「韓国戦争」が始まり、朝鮮半島から日本軍を追い出す戦争が「韓国戦争」。米英仏韓の国連軍が侵略者の日本軍を朝鮮半島から追い出し、韓国が勝利した戦いが「韓国戦争」と教育している。

4. 北朝鮮はソ連軍と中国軍が北朝鮮から日本軍を追い出した。中国軍と韓国軍は「韓国戦争」で供に戦った同志戦友と教えている。

5. 慰安婦とは、日本が「韓国戦争」の時に20万人を強制連行してジープに乗せて売春させていた。

6. 1945年8月15日とは、日本が戦争に負けた日で韓国の建国記念日と教えている。植民地支配から8月15日の独立の前後経緯は、「韓国戦争」に続く話につじつま合わないので教えていない。

7. 竹島は1950年6月~「韓国戦争」で日本を追い出し取り戻した島と教えている。

8. 北朝鮮と1964年に国境紛争が発生したが、同じ民族で殺し合う大きな戦争にならず。また一度も北朝鮮とは戦争していない。同じ民族同志で戦争する理由もないと教えている。

9. 日韓条約は過去の植民地支配の謝罪、賠償条約で、韓国の立場はこの条約を基本にしてる。

10. 韓国は戦勝国で、国連設立に参加した当事国で最初の国連加盟国であると教えている。

この歴史感は40代の韓国人に共通した歴史認識として教育されており、韓国の小中学校で週3~6時間この教育をしている。韓国民は疑いもなく日本を恨むように教え込まれている。

韓国人28歳の米国留学生に聞いても同じように答える。米国英文資料の朝鮮戦争について、「これはウソだ!デタラメが書かれている!」と怒る。「なぜ米国は日本を擁護して嘘を書くのか!」。
「韓国戦争で米英韓国連軍が日本と戦い朝鮮半島から追い出したのに、なぜアメリカは嘘を書くのだ!」と、これが米留学中の韓国学生の最初の答えである。全く事実を認めない。嫌憎日ヘイト教育で子供に9年間も教えたすごい結果である。

これが韓国の実態だということを日本人は知らなくてはならない。北朝鮮の話ではない。韓国の現状である。




歴史を捏造(Whitewash)するものは誰か?


フリーペーパーCheersブログ記事(2016年9月6日)


AJCNとして慰安婦像問題に取り組み始めてもう2年半になる。その間、歴史の真実とは何かについて考えさせられる事ばかりであった。日本人は歴史に関する議論が下手だ。議論が下手というよりも、議論の前提となる史実について勉強し、調べて自分の認識のベースを作ることを怠っている。それはおそらく、戦後教育において、特に日本の近代史を否定的に捉える風潮が強かったせいもあるのだろう。歴史認識について自分の意見を人前で述べることができない。そのため中国人や韓国人にいいように言いくるめられるシーンを何度も見てきた。歴史は人が書いたものだ。実際に何が起こったかはそれを書き記した記録や叙述によってはじめて確認できるのである。そしてそれは虚偽のものであるかもしれず、意図的に捏造されたものかもしれない。それらが時の進行に伴い、新たな史実の発掘によって覆され、歴史が書き換えられ、改訂されていく、その繰り返しだ。常に歴史認識は見直され(Re-examine) され、再確認(Revalidate) されていく。そんな事例を今回ご紹介する。


あの吉田清治の長男(66歳)が衝撃告白


 慰安婦問題で、衝撃的なリポートが月刊誌「新潮45」9月号で発表された。ご存知の通り、朝日新聞は、「慰安婦を強制連行した」という吉田清治氏の虚偽証言を30年以上も放置し、日本と日本人の名誉と尊厳を傷付けたが、ジャーナリストの大高未貴氏が、吉田氏の長男のインタビューに成功した。 この長男は「父は大変誤った歴史を作り出した」「世界中の慰安婦像をクレーン車で撤去したい」などと激白した。
AJCNの山岡代表は大高氏と面談し、この記事含まれていない情報もいくつか入手した。



大高氏は十数年前から、日本軍による強制連行説を世界に広めた「吉田清治」という人物に興味を持っていた。週刊朝日は日韓基本条約の直前1963年に吉田雄兎または東司 (ペンネーム吉田清治)の、朝鮮人労務者調達の経験に関する手記を掲載し、これが強制連行のストーリーの下書きとなった。日韓基本条約が締結された1965年、朴慶植(パク・キョンシク)が『朝鮮人強制連行の記録』(未來社)刊行したが、この朴と吉田が長い付き合いであったことを長男が明かした。プロパガンダ共鳴現象の始まりである。1983年、済州島で200人の女性を拉致したと証言する『私の戦争犯罪』が発刊された。 吉田証言については、現代史家の秦郁彦氏が、吉田氏が慰安婦狩りの舞台になったと証言した韓国・済州(チェジュ)島で現地調査を行い、1992年に産経新聞でその「虚偽性」を指摘している。吉田氏も1996年に週刊新潮の取材に「創作話」であったことを認めているが、吉田氏の連行した人数は最終的には「多くて3000人の朝鮮人女性の強制連行をした」と報道 される始末であった。(1992年赤旗)

 安倍晋三首相も、自民党青年局長時代の19997年5月27日、衆院決算委員会第二分科会で「そもそも、この『従軍慰安婦』につきましては、吉田清治なる詐欺師に近い人物が~」と指摘し、首相就任後の2007年3月5日、参院予算委員会でも「(吉田)証言はまったく、後にでっち上げだったことが分かったわけでございます」と答弁している。

 一連の批判に耐えきれず、朝日新聞は2014年8月になって、ようやく吉田証言を虚偽と判断し、16本の記事を撤回した。
 本来ならここで終わる話だ。ところが、奇妙なことに吉田証言は生き続け、世界各国に次々と設置される慰安婦像の説明文に憑依して、国際社会で現在もなお増殖している。
吉田証言を重要な証拠として採用し、国連人権委員会で日本への非難勧告を行ったクマラスワミ報告も、外務省の申し入れにも関わらず、いまだに撤回されていない。

 だが、このプロパガンダを行った「吉田清治」という人物の来歴は、謎に包まれたままだった。生年も出生地も定かではなく、学歴も経歴も不明だ。そして、名前はいくつもある。吉田が23歳の時、朝鮮人(当時19歳)を、何故か養子にもしている。一体、「吉田清治」とは何者だったのか?

関東北部の県で、質素な一人暮らしをしていた長男は、取材で、以下のように語った。

● 「父が犯した慰安婦強制連行の捏造について、吉田家の長男として、日本の皆様に本当に申し訳なく思っております。できることなら、クレーン車で世界中の慰安婦像を撤去したい…」

● 「父の責任は重大ですが、一方で、あれだけの創作話を父1人でできるはずがありません。慰安婦問題を既成事実化したい人々の何らかの関与があったはずです」

● 「父は済州島なんか行っていません。家で地図を広げながら原稿を書いていました」「1983年謝罪行脚のため訪韓した際、父のパスポートに入出国スタンプは押されていませんでした。なぜなら韓国政府が関与していて、税関を通過しなかったからです」 

● 「1983年に天安市に私費で建てた謝罪碑の除幕式に出席するために訪韓し、サハリン残留韓国人の遺家族であるとされる人物の前で土下座したが、碑を作る金など吉田家にはなかった。別の誰かが出したのだろう」

● 朝日新聞は、吉田氏の戦後の経歴を「サラリーマン」などと報じていたが、吉田氏は人生の大半は定職につかず、その生活費は息子たちが賄っていたという。著作、講演活動を繰り広げながら満足にお金を得ることもなく、生活は常に困窮していた。大金が入ると子供たちに「今までの5倍の家賃のところに引っ越す予定だ」と言ったが実現しなかった。吉田氏は一体、誰のために、何のために活動してきたのか?

 その謎を解くカギの1つは、吉田家と家族ぐるみで長期にわたって付き合いがあった、神奈川県警の元刑事A氏の証言。吉田氏は「朝鮮半島のある組織 (南)にお金を借りていた」というのだ。吉田氏の韓国謝罪行脚をテレビで見ていたA氏は「正直なところ、可哀そうだなと思いました。(略)痩せちゃっているし、おびえている姿そのものでしたよ…」と当時の印象を語っている。山岡代表は大高氏から南ばかりでなく北の組織とも吉田清治は接触していたと聞いた。また日本人の中にも吉田の活動に協力した人間がいるらしい。

 出身地は福岡県。門司市立商業学校(当時)の卒業生名簿には「吉田雄兎」の名前があるが、卒業生名簿には「死亡」と記されている。「背乗り」(はいのり:工作員が他国人の身分、戸籍を乗っ取る行為。警察用語)の可能性も取りざたされている。誰よりも吉田氏を知る長男の告白は、ジワジワと謎に包まれた吉田清治という男と、慰安婦問題の虚構の化けの皮を剥がしてゆくこととなろう。そして歴史はまた見直されていく。